SANMARINO STORY 02

STORY 02

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流行を見極め、展開してきたブランド

『エンドレス・サマー』『ビー・ワン・ソウル』『ベン・デイビス』『タイムリー・ワーニング』『セルジオ・タッキーニ』といったテイスト、対象年代の異なる5つのブランドを展開し、年間で約800種・120万点の商品を企画販売しているサンマリノ。こうした多彩なブランドビジネスは、どのように発展してきたのでしょうか。その動向と構築してきた“ブランド観”を紹介します。

業界の先駆けとなったライセンス契約

サンマリノは、ファッションアイテムの企画開発・卸売ビジネスを展開するなかで、数々のブランドを手がけてきました。ブランド事業を展開するきっかけとなったのは、1992年に、全米で800店舗以上を展開するカジュアルファッションブランド『ビューグルボーイ』とのライセンス契約でした。

アパレル業界におけるライセンス契約とは、ある企業が展開しているブランドを別の企業がコンセプトを活かしつつ企画開発・販売するための契約を指します。当時、海外ブランド商品を日本で販売する場合には、現地で買い付けをした商品を輸入販売する方法が一般的。ヤング層向けのカジュアルファッションブランドのライセンス契約は、日本国内でほとんど例がありませんでした。現在は関連会社である株式会社ハイブリッドの代表取締役社長を務める大森彦行は、サンマリノのいち社員として未知のビジネスに奔走していた当時を振り返ります。

「ブランドライセンス事業の先駆けが『ビューグルボーイ』だったと思います。それだけに前例がなく苦労が多かったのも事実です。日本とアメリカでは受け入れられるサイズや色が違いますが、そうした事情を理解してもらえず、大きなサイズや『日本ではちょっと…』という色の商品も仕入れなければいけなくなったりしました。そうした根本的なことから、品質に関する考え方、商品企画の承諾まで、お互いの常識が異なるためにとにかく大変でした(笑)。しかし、アメリカのマーケットを体感し、海外メーカーと直接交渉できたことは、その後のブランドビジネスに非常に役立ちました」

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マーケットニーズに応えて多様に進化

その後、サンマリノはサーフブランド『エンドレス・サマー』、ワークウェアブランド『ベン・デイビス』、スポーツブランド『セルジオ・タッキーニ』など、数々のブランドとのライセンス契約を結んでいきます。また、自社オリジナルブランドとして、より若い層に向けてタイムリーなスタイルを発信する『タイムリー・ワーニング』もスタート。さらに『ビューグルボーイ』から派生したストリート系ブランド『ビー・ワン・ソウル』については、権利そのものを継承し、自社ブランドとして展開してきました。こうした多様化したブランドビジネスについて大森は、「日本のマーケットの流れを見極めることが重要」だといいます。

「新しい販売チャンネルを開拓するために必要なブランドについて、常に考えていました。時にはあえて販路を狭めるという決定も戦略的にしました。目の前の売上だけを考えるのではなく、中長期的な視点からブランド価値を高めていくことが、より多くのお客様に商品を届けることにつながるのです」

「ブランドは時流に合わせて進化させる必要があります」と『タイムリー・ワーニング』を企画した営業部・羽賀大地はいいます。その言葉の通り、『エンドレス・サマー』は『TES』としてよりポップな路線へと変更し、『ビー・ワン・ソウル』からは“ダック・デュード”という人気キャラクターブランドと、韓国ストリート系ファッションという流れを生み出しました。

「お客様の好みが細分化している現在、“定番”として同じものがずっと残ることはありません。常にアンテナを張って“次の新しいブランドを生み育てる”という意識を持ち続けることが大切なんです」

こうした意識に裏付けられた企画力こそが、サンマリノの強みといえます。これからサンマリノのブランド展開がどのような進化を遂げていくか、ご期待ください。

株式会社サンマリノ 代表取締役社長 中森 英典の写真

株式会社ハイブリッド
代表取締役社長 大森 彦行

栃木県出身。1982年に株式会社サンマリノ入社。営業、企画、商品開発を経て、常務、専務、副社長を歴任。2017年に関連会社の株式会社ハイブリッド代表取締役社長に就任。

株式会社サンマリノ 代表取締役社長 中森 英典の写真

株式会社サンマリノ
羽賀 大地

茨城県出身。2002年に株式会社サンマリノ入社。企画デザイナー職として経験を積み、現在はマーチャンダイザーとしてブランド全体の商品構成や販促計画の立案も担う。後輩の育成には特に力を注いでいる。